現代文小話 第1回

こんにちは。AAの平田です。
最初の挨拶回ではなかなかに面白みのない文を書きましたが、どうにも皆わりかしカジュアルに書いているようなのでそんな感じで行きたいと思います。とはいえ、これといって書くこともないんですが。
趣味や最近やったことを話題に出そうにも日本だとニッチすぎて反応に困るだろうし、そもそも塾のブログに乗せる内容でもない・・・。生徒たちなら分かると思いますがマナビス内の出来事もブログ記事にできるほど劇的でも大量でもないです。真面目にコツコツ勉強してるわけですからね。

と、いうことで。

戸田とか岩本がやってる小話を自分もやろうと思います。便乗ってすばらしい。頭を使わなくていいのが何より。
数物化は多分戸田が全部やるんで(丸投げ)、教科は誰もやらないだろう現代文にしましょう。今のところ全5回を予定していますが気分で変わります。

読書量が多い人はさほど苦労しないかと思いますが、苦手な人はとことん苦手と言うのが現代文だと思います。受験生になってしまうと大量の本を読む時間がどうしても確保できず、ポイントを抑えて効率よく点数を取ると言う勉強法が主流ですが、そういったことに関してはぜひマナビスに通って学習していただくと言うことで、ここではもっと基本的なことについて書いていくことにします。

それでは記念する程でもない1回目をどうぞ。

現代文小話 第1回 『常識にとらわれてはいけないのですね!』

現代文小話第1回のテーマは常識になります。大事ですよね、常識。
現代文、特に小説を読んでいるときには普段とは少し違う意味合いになります。それは「場所、時代、人によって常識は全く異なる」ということです。小説を読むときには私たちはその小説の舞台に立って考えなくてはなりません。そこでの常識に則って考えなければまるで見当違いの答えを出してしまうというわけですね。

よくあるのが、登場人物の心情を答えなさいという問題ですが、これに対して「自分が登場人物の立場ならこう思う」という解き方をしてはいけません。感情移入した先にあるのは「現代の高校生の常識での判断」ですから、ほとんどの場合で間違えてしまいます。必要なのは「登場人物の立場と常識での判断」であるということを忘れてはいけません。
例えば戦時あたりが舞台だったとすると、全体主義の傾向が強いので個人の都合などは軽視されがちですし、それが当然という風潮でさえあるかもしれません。

もう少し分かりやすい例をいくらか出しましょう。
もう随分と昔(というか歴史上の話)になりますが、キリスト教圏ではかつてカトラリーを使用することがよろしくないとされていた時期がありました。なのでこの時期を舞台に小説を書くと、登場人物たちはさも当然のように全ての食事を手づかみで行うわけです。これに違和感を感じながら読んでいるのでは心情を考えるとかやってられませんね。さすがにこんな小説は問題にでないでしょうけど。
他に、小説なら恋人が遠方に行くことになってしまったという話がしばしばあるかと思います。今なら携帯がありますし、なんなら新幹線や飛行機で会おうと思えば会えるというのが現代です。しかし、まだ交通もしくは通信網が発達していない時期が舞台の場合、そう簡単に連絡をとることはできませんし会いに行くには相応の準備と覚悟が必要になります。こっちは問題になるこがありそうです。

こういったジェネレーションギャップに適応して登場人物の心情が読めるようになれば一人前です。
とは言え、小説で毎回「今は何年の何処で~」なんて書いてくれるわけではないので、台詞や行間からこの文中では現代の常識と違うところがあるかどうかを判断しなければいけません。

小話にしては長くなってしまったのでここらでまとめをば。
小説を読むときは現代の高校生であるあなたの常識は一旦捨ててください。登場人物の立場になって考えるということはそういうことです。
それでは、また次回。

・・・予定の数倍の長さになってしまった。

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